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アウルム地方 Ⅱ

Author: エチカ
last update publish date: 2026-04-07 07:45:51

 そう聞かれて、オルタナはただ全力で左右に首を振って答えた。

「こっちを向いて。オル……オーリィ」

「へっ?」

「怖くない、と言っていただろう?」

「ちょ、まっ……」

「ぶはっ! ははははははっ……流され過ぎだぞ、オーリィ」

 公爵は、我慢ならないと言った風に腰を折って笑う。

 解かれた手首には、まだ公爵の熱が残っている。

 何が起こっているのか未だに整理が付かないオルタナの脳内は、混乱し熱を持って呆然とするしかなかった。

「か、揶揄わないで下さいっ……」

「ふはっ……すまん。あんまりにも初心な反応を見せるもんで、つい」

「さ、触らないで……」

「怒ったのか? オーリィ」

「オーリィって呼ばないで下さい」

「特別な呼び名、か? 妬けるな」

「何を……バカな事を……」

 そんなわけあるか。

 元王族の公爵閣下が、一介の商人相手に妬くなんてあるわけない。

「許してくれ、オーリィ。俺が悪かった」

 下から伺うようにして視線を合わせようとする公爵は、眉を下げて困った様な顔をして見せた。

 それでも楽しそうに見えるから腹立たしい。

 こちらが狼狽えているのが、余程楽しいらしい。

「そんな事より、は、早くお話を……」

「あー、何だったか。忘れた」

「はい?」

「夜更かしせずに、寝るんだぞ。おやすみ、オーリィ」

 呼び方を変えるつもりはないらしい。

 こちらが拒否しても、決定権はあちらにある。

 貴族とはそう言うものだ。

 まして身分のない平民が、遊びであろうと一夜の相手に····なら、それは光栄な事なのだろう。

 もしかしたら発情しないからこそ、慰み者として飼われる事になるのだろうか。

 Ωは発情しなくても普通に女性との性交と同じように交わる事が可能だ。

 発情しないと言う事は、妊娠する可能性がゼロに近い。

 望まない妊娠をする可能性がない、と言うのは名のある公爵家にとっては利点になるのかもしれない。

 αはどの性別でも孕ませることが出来る。

 特に上級αは妊娠させる確率が高いと聞いている。

 性交の末、望まない子が出来ればスキャンダルは免れないだろう。

 その点、発情しないΩならその心配はない。

「犯罪者の次は慰み者か……」

 自分の望む慎ましい穏やかな人生からは、かけ離れて行く。

 だがしかし、オルタナのその心配は杞憂だった。

 あれ以来、公爵が夜訪ねて来ることはなく、毎日食事を共にする以外は自由に過ごせているのだ。

 先日もいつもの様にオブライアンが晩餐へと呼びに来た際、食堂には普通なら同席するはずのないノエルとミレーが着席していて驚いた。

 部下が主人と一緒に食事をするなんて、聞いた事がない。

「早く席に着きなさい」

 公爵にそう言われていつもの一番下座に座ろうとすると、オブライアンに「あちらへ」と公爵の左斜め前の席へと案内される。

 いつも一番上座に座っている公爵の真正面、テーブルの一番下座に座っていたのに、その日は向かいにノエル、その隣にミレーと何だか距離が近かった。

 青灰の髪に頑健そうな体格のノエルは、見るからに軍人らしい男だ。

 その隣に座るハニーブロンドのミレーは華奢ではあるが凛々しく涼やかなヘーゼルの眸が印象的で、軍服なのに麗しいという言葉が似合う気がした。

「今日は無礼講と行こうじゃないか」

 そう言ってグラスを掲げた公爵に、訝し気な顔を見せたのはノエルだった。

「飲みすぎ厳禁だ、ヴィー」

「ノエル程弱くないから安心しろ」

「言えてるわ。ノエルが一番心配ね」

「ミレー、余計な事を言うんじゃない」

「本当の事だもの。ね、ヴィー様」

 オルタナは三人がまるで友達の様に会話しているのを、ポカンと見ていた。

 それに気付いたミレーが、ニッコリ笑ってグラスを傾ける。

「私達、幼馴染なのよ。オルタナ」

「はぁ……そうでしたか」

「私達の事も気軽にミレー、ノエルと呼んでいいからね」

「へぁ? いや、無理っ……」

「オーリィ、今日のメインはオブライアンが腕によりをかけて作ったモリガン地方の赤鹿のワイン煮込みだそうだぞ」

「そ、れは……」

 オルタナは「また高級な」と言おうとして口を堅く閉じた。

 当たり前か。貴族だもの。

「オルタナは何が好きなんだ? やけに細いが、ちゃんと食べているのか?」

「えっと……」

 ノエルにそう聞かれて、返答に困る。

 オルタナにとって食事は生命活動の一つに過ぎない。

 祖母がいた時から作った香辛料や調味料の試食が主だ。

 幼い頃は体で覚えると言う祖母の教えもあって、毒に中って何度も死にかけた。

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